事件の真相 女たちの物語

有名事件をいろいろ調べてみました。翻弄される女たちの悲しい物語のブログです。

滋賀銀行9億円横領事件 【愛した男に貢ぐためだけに】1300回にわたり9億円を横領した奥村彰子 気になる画像や現在、その後の人生は?

『滋賀銀行9億円横領事件』を皆さまはご存知でしょうか?

 

今日は一人の、

『男に貢ぐために、男を繋ぎとめておくために』

巨額の横領事件を起こしてしまった、哀しい女性のお話をさせていただきますね。

 

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まずは滋賀銀行9億円横領事件の真相の前に、よろしければ私のプロフィールも読んでみてくださいませね・・・

   ↓  ↓  ↓

 

catmemo.hatenablog.com

 

事件のおおよその概要はこういうことなの・・・

 

1973年10月21日、滋賀銀行山科支店のベテラン銀行員、奥村彰子(当時42歳)が横領の容疑で逮捕された。

奥村は同年の2月までの6年間、およそ1300回にわたって、

史上空前の9億円という途方もない金を着服し、そのほとんどを10歳年下の元タクシー運転手・山県元次(当時32歳)に貢いでいた。

いかが?ショッキングでしょう?

 

9億の横領とは破格の金額ね!!!

この事件は、日本で起こった3大銀行横領事件の一つだけど、

(他の二件もこちらのブログでご紹介してみるわね。)

私は、個人的にこの事件が一番興味をそそられるの。

 

 

ちなみにこちらの『滋賀銀行9億円横領事件』は、テレビ朝日系で、武井咲さん(過去には山本陽子さんや米倉涼子さんでもドラマ化している人気作品ですよね。)主演で新たにテレビドラマ化された松本清張原作の小説「黒革の手帖」のモデルになった事件といわれています。

 

武井咲さんが美しい和服姿(着物姿)で悪女を演じていることでも話題のこちらの『黒革の手帳』はもちろん私もチェックしていますが、

『黒革の手帳』では現実の事件をそっくりそのままなぞってはいないものの、原口元子と奥村彰子の共通点も注目してこちらの記事を読んでみていただくとさらに味わい深く感じますよ・・・。

 

さらに、私の趣味の一つである、気になる犯人のお顔チェックは、ブログの最後に写真画像とともにしていきたいと思っています。

 

 

まずは奥村彰子のプロフィールからご紹介するわ。

 

奥村彰子は1930年12月、大阪府北河内郡で3人姉妹の末っ子として誕生した。

一家はその後、京都市左京区に移り、奥村は1948年3月に市立堀川高女を卒業。

当時、学制改革があり、奥村は高等学校3年に編入したが7月で退学している。

退学の理由としては、父親が愛人をつくって家を出ていったことで、男性不信に陥っていた母親が男女共学に強く反対したからとのことだ。
 

そして、同年の12月、奥村は滋賀銀行京都支店に入行した。

両親のことが影響してか、

「男の人には負けたくない」と熱心に仕事に取り組んでいたという。

 

一方、恋愛の方はと言うと、やはり男性を嫌悪するの母親の影響もあってか、

縁談などもなかなかまとまらなかった。

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なるほどね・・・
家庭環境が少なからず彼女の人格形成や恋愛に影響していると考えられるわね。

 そして、彼女の悲劇がスタートするわ。
事件を見ていくことから、私たちもたくさん学んでいきましょう。

 

 

1965年春、滋賀銀行北野支店で勤務していた奥村は35歳になっていた。

そしてこの頃、山県元治(当時25歳)と出会っている。


当時、奥村は付き合っていた男性とケンカをして落ち込んでいた。

そんな時、職場の懇談会の帰りタクシーで拾ったのだが、

それがある意味、運命の出逢いだった・・・

 

 

奥村は酔っていたこともあって、タクシーの車中で涙を流した。

この時「どうされたのですか?」と、彼女に優しく声をかけたこの若いタクシー運転手。

それが山県元治だったのである。

 

2人はそのまま車内で話しこみ、奥村の方から

「酔って帰ると母がうるさいからドライブしよう」と誘った。

 

30分ほど京都市内を走り、奥村はタクシーを降りたが、

別れ際「●●銀行の奥村彰子です」と嘘の銀行の名を言って去った。

落ち込んでいる時に優しく語りかけてくれた山県に魅力を感じ、

「また会いたい」と思ったが、

自分に自信がないことからの嘘だったという。
 

奥村はこの後、滋賀銀行の山科支店へ転勤となる。

職務は普通預金係だった。

 

1966年春、奥村は帰宅途中のバスの中で、突然、

「あの時の彰子さんではないですか?」

と山県に声をかけられた。

 その時、奥村はすっかり彼のことを忘れていたが、声の調子であの時のタクシーの運転手だと思い出したという。

 

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なんて不幸な偶然なの・・・

ここで再会しなければ彼女の人生は全く違うものになっていのに。

傷ついた自分に優しく語りかけてくれた山県の声が、
きっと、彼女の記憶の深いところ、神経に根付いていたと言えるかもしれないわ。

私も同じ女性としてわかる気がするわ。

この時点で、既に彼女が山県に堕ちていく運命が見てとれるわね・・・

 

 

山県は琵琶湖競艇で負けてきた帰りとのことだった。

山県は奥村をお茶に誘い、京阪三条南口の喫茶店で話しこんだ。
 

この時の山県の話によると、

小遣いがたくさんあるので、ギャンブルで負けても平気と語ったという。

兄は下関で大きな商売をしているということだった。

山県の口から語られる話はどれも景気よく、面白く、奥村は彼に夢中になりつつあった。

 

そしてその時、勤務先の銀行がちょうど定期預金の大募集期間だったこともあり、

奥村は「私の銀行に預金をして欲しい」と頼んだ。

そして以後数回、山県に電話をしてみたが、その都度断られていたという。

 

山県は当時「年上の、あんなきれいな人が電話をくれるなんて、きっとからかわれているだけだ」と思っていたのだが、

山県のそうしたつれない態度に奥村はさらに積極的になっていった。

そして二人は数回の食事を経て、交際するようになった。

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なるほど・・・

逃げられると追いたくなる。
これはいつの世にも恋愛の不変の法則なんじゃないかしら?

 

奥村にとって、固いだけの銀行の同僚とは全く違う魅力的な男。
そんな山県元治のプロフィールもここでチェックしておく必要があるわね。

 

 

 山県元治は1940年、朝鮮で誕生した。

七男五女の五男。父親は警察官だった。


中学卒業後、豊浦高校の受験をしたが失敗。

その後、ガラス店で住みこみで働きながら、定時制の商業高校に通い始める。

 

そしてこの頃、友人に誘われて競艇をするようになった。

その一方、山県には「歌手になりたい」という夢があり、

鼻を整形手術して歌声喫茶で歌ったりもしていたという。

おシャレで、女性によくモテた。


ガラス店に6年間勤めた後、山県は独立し陶器店を始めたが、

競艇ですって、すぐに店を潰してしまった。

後にタクシーの運転手になる。

 

その後も会社を転々としているが、その理由は売上金の納金をごまかすからだった。

奥村とバスで再会した時は、何社目かの会社をクビになった頃だったという。

 

 

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典型的な『だめんず』と申し上げたいわ!!!

でも、この手の男がどストライクの女が少なからずいることは事実ね。
真面目な銀行員の奥村とは正反対、身の回りにいないタイプということが興味深いわ。

 

「ボート(競艇)をやる金がいる」
山県がこう奥村に切り出したのは、付き合って間もなくのことである。

初めは5千円~1万円ほど貸していた。

そして、その貸した金がたとえ返ってこなくても奥村はいいと思っていた。

 

しかし、金の要求がその後もたびたび続き、

奥村はいつの間にか、自分や家族の貯金を切り崩すほどになっていた。

山県は奥村から借りた金で中古車(コロナ)を購入している。

しかし、奥村はそんな山県に、愛想を尽かすということはなかった。

 

なせ・・・?

 

 

理由は、当時36歳になっていた奥村にとって、

山県はもはや「最後のチャンス」と言える男だったのだ。

そして、この年下の魅力的な男を繋ぎ止めておくための金が必要だった。

同年の秋、奥村は滋賀銀行の普通預金係から、定期・通知預金係に異動となる。
そじてこの頃、奥村はバス会社を定年退職したKさんという男性と知り合っている。

 

Kさんは奥村に露骨に好意を示しており、奥村が預金勧誘用のパンフレットを見せると、即座に定期預金の100万円の小切手を届けてきた。

奥村が預金の証書と印鑑を渡そうとしたが、Kさんは受け取らず、奥村に預けたままとしていた。
 

その話を奥村がデート中に山県に言うと、山県は、

「100万か。その金なんとかならんか。穴埋めは必ずする。アッちゃん頼むよ。」

と即座に食いついてきた。

しかし奥村もさすがにこの時ばかりは

「人のお金に手をつけることはできん」ときっぱり断っている。
 
「いい車がある。買いたいんや。Kさんの金、なんとかならんか。必ず返すし、ちょっと貸してくれ。40万円でええから」
滋賀県の近江八幡市にドライブに行った際、立ち寄った中古車センターで山県はそうね言って再び奥村にねだってきた。

 

奥村は断れず、ついに11月8日。

Kさんの定期預金を偽造証書を作成して中途解約し、100万円を引き出して山県に渡した。
Kさんの定期預金は6ヶ月だったが、山県は借りたお金を返すそぶりが全くなかった。

さすがに焦った奥村は返済を催促するが、

「競艇で一発当てて返したる」とはぐらかされた。

同年の暮れ、Kさんは再び銀行を訪れ、奥村に70万の小切手を預けた。

またも証書や印鑑は預けたままだった。

奥村はKさんに気のある素振りを見せ、その後も預金をさせ続けた。

翌1967年5月、奥村はついにKさんと肉体関係を持つ。

定期預金を途中解約されては困るという理由からである。

山県は奥村にそのことを聞かされた時、ムッとはしたが「やめろ」とは言わなかった。結局、Kさんは計1240万円もの金を奥村に預け、それらの金はすべて山県へと流れることになる。

翌1968年1月、相変わらず山県の金の要求は続いていた。
仕事始めの日、山県は銀行に電話をかけてきて20万円を要求。

この頃には既にKさんの金も底をついており、奥村は要求分の金を捻出するところなどどこにもなくなっていた。

 

追い詰められた奥村は、ついに銀行の金に手をつけようかと迷い始める。

ちょうどその時、自分の預かっていた定期預金元票の中から20万円1年定期を見つけ、ついに預金証書を偽造した。

支店長とその代理の職印が必要だったが、油紙を使用して転写、

ついに銀行から20万円の金を横領した。

 

f:id:lodoc:20160116190408j:plain ついに禁断の果実をかじってしまったようね・・・。

 

人間は一度タブーを犯すと、罪の意識も薄れてくるものなのか、

奥村はその後も次々と犯行を重ねていき、その手口も次第に大胆になっていく。

そのうちに定期の中途解約では追いつかなくなり、架空の名義を作り上げて100万単位で金を引き出していく。
 

1972年10月には定期・通知預金事務決済者を任されるが、このことも彼女の横領に拍車をかけることとなる。
 

 

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この事件で注目したいのが、
奥村が真面目で働き者のベテラン行員として、職場で大きな信頼信頼を得ていたということ。

現実はともかく、職場内では年々順調にに昇進し、ますます横領しやすい役職を与えられていったことは皮肉だと思わざるを得ないわね。

 

 

 そして翌年、1973年2月1日。

奥村は山科支店から東山支店に転勤することになった。

これも栄転ということだったが、

 

「ついにバレる」。

 

その時が来る。

奥村は突然のことに動転した。

 

下関にいた山県に電話をかけると「睡眠薬を用意しとけ」と言われた。

この時、奥村は心中を覚悟したという。

ところが、8日に京都にやってきた山県は、奥村に会うなり金の催促をしてきた。

 

 

「一緒に逃げて。一緒に死んで。私死ぬ」
奥村は何度も、何度もそう言ったが、山県は一切とりあわず、

300万円を持って下関へ帰ってしまった。

奥村は2月11日と13日の二度にわたって下関へ出向き、

山県に「かくまって欲しい」と懇願。

しかし断られた。

奥村は一旦自宅に戻り、その後失踪した。

 

その頃、滋賀銀行山科支店では大騒動になっていた。

億を超す巨額の金が、失踪した奥村によって横領されているたことが判明したからである。

2月19日、逮捕状が出され、奥村彰子は全国に指名手配された。

当時、下関にいた山県は奥村の男友達としてマスコミの注目を浴びていた。

定職についていないのに、豪邸に住み、外車やモーターボートを数台所有、ギャンブルでは一千万円負けた翌日、再び一千万をつぎこんだりしていた。

さらには、山県の兄や母親達も突然羽振りが良くなっていることも、

どう考えてもおかしいと報道されていた。

10月15日、山県はついに逮捕される。

警察の取り調べに、あっさりと奥村の居場所も自供した。

 
10月21日、滋賀県警は偽名を使って大阪のアパートに潜伏していた奥村彰子を逮捕。

指名手配写真は薄化粧の地味な雰囲気の女性だったが、逮捕時の奥村は派手な服と厚化粧でまるで別人に見えたという。


横領の相被害額は当初4億8000万円と見られていたが、二人の供述から7億を越していることが判明。

その後の裁判所の認定では8億9400万円にものぼっている。

奥村はその途方もない巨額の金を、およそ1300回にわたって引き出していた。

また山県は、1970年5月に他の女性と結婚し、長女をもうけていることも判明した。

彼女がせっせと「恋人」のために金を横領している間のことであった。

 

 

いかか?

 

いつの世にも、どこの国にも「恋愛」に狂う女は存在するものよ。

ベテラン女子行員が好きな男を繋ぎとめておくためだけに起こした、巨額の横領事件。

奥村彰子の横領が発覚した時、彼女を知る人は、

『まさかあの人が・・・』と絶句させられたそうよ。

 

背後にいる男の影・・・

好きな男を繋ぎ止めておきたいばかりに、

男の言いなりになってしまう哀しい『女の性』というものなのでしょうね。

 

でもね、私は
本気で一人の男を愛した女と、その女を騙して利用した男。
女はさぞ辛かったのかというと、
たぶん、その時はそうでもなかったんじゃないかと思うわ。

 恋愛は好きになられた人より、好きになった人の方が、
精神的に数十倍楽しいものなのよ。

この人の人生は、『恋愛』っていう一点だけを見れば、
普通の女性の数百倍、いいえ、数千倍の陶酔を味わったと思うの。
不謹慎な考えかもしれないけれどね。

 

本当だったらもっと幸せに暮らしていける立場の女性だったのに、

彼女は自分自身の感情に負けて、愚かな選択によって人生を誤ってしまったように感じるわ。

 

なぜなら、いつかは破綻が見えているのに、横領をずっと繰り返し繰り返し続けるなんて・・・

そんなことを純粋な恋愛感情だけでできることなのかしら?

そこには、やはりお金が絡んでいたことが大きいと思うわ。

人間はお金と時間、労力を使ってしまったことに執着してしまうものなのよ。

彼女の行為は、時を超えて現代の私たち女性も学ぶところが多いと思うのだけど、

どうかしら?

 

報われない恋は一定のところで見切りをつけないと大変な泥沼にはまるわ。

新しい新品の、まっさらな男にパッとチェンジしないとね♡


奥村彰子のその後の人生はどんなものだったのでしょうね・・・
出所後は本当の愛を手に入れられたのかしら?

 

相手を愛し、愛される愛。をね。

 

 それにしても、現代ではセキュリティが厳しくなりこういう事件は難しいけれど、

当時はけた違いの事件が起こることがあったものなのね。

 

さらに強い女が全面的に増えて、

『男に貢ぐ女』という人種も絶滅危惧種になっているとの意見もあるわ。

でも私は今も、ここまで極端なケースはないと思うけれど、男に貢いでしまうプチ奥山彰子は今たくさんいると思うわ。

                             by:ムーン

 

◆よろしければ私、月影ムーンのプロフィールもご覧になってみてくださいませね☆

ちなみに今は私はタイで逮捕された62才なのに39才と偽っていた山辺節子さんの女子力の高さと人生にとても興味をもっていますので、また後日山辺節子さんの人生やそのお顔、美容なんかについても追っていきたいと思っています。(追記)

  ↓  ↓  ↓

 

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奥村彰子

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写真画像出典:www.officej1.com

手配前は薄化粧の地味な女性ということだったけど、

確かにこの写真では派手な印象ね。

潜伏時の彼女に何があったのかが気になるところね・・・

気になるお顔のチェックをしてみると、私は結構美人に見えるのだけどどうかしら?

 

バブル時代のはるか前に起こった事件だが、

この手の横領犯罪が発覚した最初のケース。

定期預金の支払伝票を偽造するという単純な手口で、

5年間およそ1300回にわたって9億円という桁違いの横領事件を起こした。

 

たまたま知り合い恋をしたタクシー運転手が、ギャンブル狂だったことが彼女の不幸のだったように思います。

また、奥村自体は横領したお金をほとんど使っておらず、

質素な暮らしをしているということも女性による横領事件の一つの共通点のようです。

 

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